相続人が認知症になる前に:任意後見契約の作り方と開始のタイミング
目次
「認知症になってからでは遅い」——任意後見の本質
「認知症になったら子どもに任せればいい」——そう思っている方が多いですが、法律上は「たとえ家族でも、本人の同意なく財産を動かすことはできません」。銀行の窓口で「本人の意思確認ができない」と対応を断られるのが現実です。
判断能力が失われた後に利用できる「法定後見制度」では、後見人を裁判所が選ぶため希望する人が選ばれるとは限らず・継続コストが高く・積極的な財産活用に制約が多いという問題があります。
これに対して「任意後見制度」は、まだ元気なうちに自分で後見人を選んでおく制度です。「認知症になってから考える」では手遅れ——これが任意後見の本質です。
任意後見と法定後見の違い、できること・できないこと、後見人の選び方、公正証書の作成手順、開始のタイミングと手続き、見守り契約・死後事務委任とのセット活用、コスト、家族信託との使い分けまで解説しています。
任意後見契約とは:法定後見との根本的な違い
| 任意後見 | 法定後見 | |
|---|---|---|
| いつ使えるか | 判断能力が低下した後に発動(契約は元気なうちに締結) | 判断能力が低下した後に申立て |
| 後見人の選択 | 本人が自分で選ぶ | 裁判所が選ぶ(希望は出せるが決定権なし) |
| 後見人になれる人 | 家族・友人・専門家等、本人が信頼する人 | 家族・専門家(高額財産がある場合は専門家が選ばれやすい) |
| 権限の範囲 | 契約書で自由に設定できる | 法律で定められた範囲(後見類型では包括的) |
| 節税・贈与への対応 | 契約内容次第で対応可能 | 原則としてできない(本人の利益保護が優先) |
| 継続コスト | 後見人が家族なら無報酬も可能 | 専門家後見人の場合:月額2〜6万円が継続 |
| 終了時期 | 本人の死亡または契約に定めた事由 | 本人の死亡(または判断能力の回復)。2026年民法改正で一部見直し予定 |
「長男に財産管理を任せたい」「信頼できる行政書士に頼みたい」という本人の意思を、判断能力があるうちに法的拘束力のある形で実現できます。法定後見では裁判所の判断が優先されるため、この「選択の自由」が任意後見の核心的なメリットです。
任意後見契約でできること・できないこと
| 内容 | |
|---|---|
| できること |
・預金の管理・引き出し(生活費・医療費等) ・不動産の管理(固定資産税の支払い・賃料の受け取り等) ・施設入居契約の代理・医療機関との手続き ・各種契約の締結・解約(水道・ガス・携帯等) ・確定申告・税金の支払い代理 ・契約書に定めた範囲での財産処分(不動産の売却等も設定可能) |
| できないこと (原則) |
・医療同意(手術・治療方針への同意を後見人が行う法的権限は現行法では認められていない) ・任意後見契約に定めていない行為 ・身分行為(婚姻・離婚・養子縁組等)の代理 ・日用品の購入等の日常的な法律行為(本人が行うことを前提とする行為) |
| 注意点 | 節税目的の生前贈与は「任意後見監督人の監視下での行為」として契約書に明示的に定めておく必要があります。法定後見では認められないが任意後見では設定可能な点が大きな違い |
手術の同意・治療方針の決定・延命措置の選択等の「医療同意」は、現行法では後見人(任意・法定いずれも)には認められていません。医療同意に関する希望は、別途「尊厳死宣言公正証書」や「事前指示書(アドバンス・ケア・プランニング)」として準備しておくことをおすすめします。
任意後見人の選び方:家族・専門家・複数選任
任意後見人(正式には「任意後見受任者」)の選択が、制度活用の成否を大きく左右します。
家族・親族を後見人にする場合
・本人の生活状況・価値観をよく知っている
・無報酬(または低額の報酬)で対応してもらえることが多い
・日常的なコミュニケーションが取りやすい
注意点:
・後見人自身が高齢・病気等で対応できなくなる可能性がある
・後見監督人(裁判所が選任)の監視下に置かれるため、不正使用は防がれる一方で、財産管理の記録・報告義務が生じる
・家族間の感情が絡むと判断が難しくなることがある
専門家(行政書士・司法書士・弁護士)を後見人にする場合
・財産管理の専門知識がある
・中立的な立場で判断できる
・家族間に対立がある場合でも公平に対応できる
・本人より先に亡くなるリスクが低い(高齢の家族後見人と比べて)
注意点:
・月額報酬が発生する(2〜5万円程度が目安・業務量によって異なる)
・本人の生活状況・価値観を深く知らないケースもある
複数の後見人を選任する
後見人に指定した家族が先に亡くなった・病気で対応できなくなった場合に備えて、「補欠の後見人候補者(または専門家)を指定する条項」を契約書に入れておくと安心です。
契約書の作り方:公正証書の作成手順
任意後見契約は公正証書で作成することが法律上の要件(任意後見契約法3条)です。自筆での作成は無効になります。
本人(委任者):
・実印・印鑑証明書(3か月以内)
・身分証明書(運転免許証・マイナンバーカード等)
・住民票
後見人(受任者):
・実印・印鑑証明書(3か月以内)
・身分証明書
・住民票
※ 公証役場によって求める書類が異なるため、事前に確認してください
・公証人手数料:1〜3万円程度(財産額・契約内容による)
・専門家報酬(行政書士・司法書士に依頼した場合):3〜10万円程度
・登記費用:嘱託登記のため公証人が手続き(本人負担なし)
任意後見の「開始」のタイミングと手続き
任意後見契約を締結しても、それだけでは後見は「発動」しません。発動には家庭裁判所への申立てが必要です。
| ①判断能力の 低下を確認する |
本人・後見人(受任者)・家族等が「判断能力が低下してきた」と判断した時点で発動の検討を始める。医師の診断書・主治医への相談が重要な判断材料になる |
|---|---|
| ②家庭裁判所に 「任意後見監督人 選任」を申立てる |
本人の住所地を管轄する家庭裁判所に申立てを行う。申立人は本人・配偶者・4親等内の親族・任意後見受任者。申立書・診断書・任意後見契約の登記事項証明書等が必要 |
| ③任意後見監督人が 選任される |
裁判所が「任意後見監督人」(弁護士・司法書士等の専門家が多い)を選任する。監督人の選任によって任意後見が正式に発動する |
| ④後見人が職務を 開始する |
任意後見人(受任者)が契約書に定めた権限の範囲で財産管理・身上監護を開始する。定期的に監督人への報告義務が生じる |
任意後見は当然には発動しないため、本人の状態が変わったことを誰かが気づいて申立てをしなければなりません。「見守り契約(定期的な訪問・連絡)」を任意後見契約とセットで締結しておくことで、状態の変化を早期に把握して適切なタイミングで申立てができます(Section 6参照)。
まだ判断能力がある段階で任意後見を発動させてしまうと、本人の自律的な意思決定が制限されてしまいます。「困ったときに頼める体制として用意しておく」という位置づけで、発動のタイミングは慎重に判断してください。
見守り契約・死後事務委任とのセット活用
任意後見契約は単独で完結するのではなく、「見守り契約」と「死後事務委任契約」とセットで準備することで、生前から死後まで切れ目のないサポート体制を作ることができます。
| 見守り契約 | 元気なうちから定期的に連絡・訪問してもらう契約。月1回程度の電話・定期面会等。任意後見発動の適切なタイミングを把握するための「アンテナ」として機能する。一人暮らしの高齢者・子どもが遠方にいる方に特に有効 |
|---|---|
| 任意後見契約 | 判断能力が低下した後〜死亡までの財産管理・身上監護を担う。見守り契約の受任者と同じ人にするのが連続性の観点から望ましい |
| 死後事務委任契約 | 死亡後の葬儀・火葬・各種解約・役所への届出等の手続きを委任する契約。相続人以外の人(専門家等)に委任することで、身寄りのない方でも死後の手続きが適切に行われる |
任意後見のコスト:契約費用と継続的な報酬
| 費用の種類 | 目安・内容 |
|---|---|
| 公正証書作成費用 (一時的な費用) |
公証人手数料:1〜3万円程度 専門家(行政書士・司法書士)への相談・作成支援:3〜10万円程度 登記費用:公証人が手続き(本人負担なし) |
| 見守り契約の費用 (発動前・継続) |
月額3,000〜1万円程度(訪問・連絡の頻度・内容による) |
| 任意後見監督人の報酬 (発動後・継続) |
月額1〜3万円程度(財産額・業務量による。家庭裁判所が決定)。発動から本人が亡くなるまで継続的に発生 |
| 任意後見人の報酬 (発動後・継続) |
家族が後見人の場合:無報酬または低額が多い 専門家が後見人の場合:月額2〜5万円程度(事務量・財産規模による) |
家族を任意後見人にした場合、任意後見監督人の報酬(月額1〜3万円程度)のみが継続コストになります。法定後見で専門家後見人が選ばれた場合の月額2〜6万円(後見人報酬+監督人報酬)と比べると、長期的には大きなコスト差が生まれます。
家族信託との使い分け:どちらが向いているか
認知症対策として「任意後見」と「家族信託」はよく比較されます。それぞれ得意領域が異なるため、「どちらか一方」ではなく「両方の組み合わせ」が最も包括的な対策です。
| 比較項目 | 任意後見 | 家族信託 |
|---|---|---|
| 得意領域 |
身上監護(施設入所・医療機関との手続き) 財産管理全般 |
財産の柔軟な管理・処分(不動産の売買等) 認知症後も継続した財産活用 |
| 不動産の売却 | 契約に定めれば可能だが監督人の許可が必要な場合も | 受託者が柔軟に対応可能 |
| 裁判所の関与 | 監督人選任で裁判所が関与 | 原則として裁判所の関与なし |
| 継続コスト | 監督人報酬が継続的に発生 | 家族が受託者の場合は比較的低コスト |
| 死後への対応 | 死亡と同時に終了(別途遺言等が必要) | 信託契約の設計次第で死後まで継続可能 |
| 設定コスト | 比較的低い(1〜15万円程度) | 高い(30〜100万円程度) |
家族信託で財産の柔軟な管理・処分を確保し、任意後見で身上監護を確保し、遺言書で死後の財産の行き先を決める——この三点セットが、生前から死後まで切れ目のない最も強力な準備です。状況や財産規模に応じてどの組み合わせを選ぶかを専門家と相談しながら決めてください。
よくある疑問(Q&A)
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